『和泉 幻視行』を読む㊺「遠里小野(おりおの)」

ついに先日の掲載分で産経新聞の『和泉 幻視行』シリーズは、=おわり=ました。
第一回の「方違神社」(2015年11月15日掲載)からしますと、2年以上(掲載が)隔週以上の間隔だったとは言え続いた訳ですから、凄いなあと思います。
ブログ記事で、「後追い?」と言うのでしょうか、その記事を読んだ感想などをほぼ毎回書かせて戴くだけでも正直大変でしたし、しかも今回もそうですが、最近はずっと遅れて書いてしまっておりまして、歩きでいいますとどんどん先を行かれてもう姿が見えないぐらいの状況でありました。
ですが、この2年以上の間、自身も(掲載されるのを)楽しみにして読ませていただきましたし、その感想を自身の経験と照らし合わせてブログ記事で書くことで、埋もれていた自身の記憶がまた掘り起こされるという感覚ではありました。
何より、“和泉”(自身の母校の校歌でも「はるか和泉の 山脈(やまなみ)に ~~」とあります)というほぼ自身の生活圏内での取材(“歩き”紀行と言ってもよいでしょう!)でしたので、沢山の共鳴点(≒サザンクロスの輝き)もあり、記事に触発されて自身もブログ記事を一所懸命書いたことでした!
少しばかりは最近は掲載された記事が溜まってしまっていたので、=おわり=まして“ホッ”としたところもあるにはありました。
最後の方は、自身の生活圏?からもだんだん離れ北上して行かれていたので、ちょっとピンと来るところも少なくなったというのもあったかもしれません。

まあ、いずれにしましてもこの2年以上もの間、“和泉”の様々なところに行かれ“幻視”された記事を掲載下さったことにただ感謝申し上げます。

ありがとうございました。

兎に角、今手元に新聞の記事がある、今日のタイトルである「遠里小野(おりおの)」(平成29年11月19日掲載分)のことを書かせていただきます。(これ以降の分は今のところ未定です。記事が掲載された新聞も見つけていない状況です。。。)

大和川を境に堺市側の「遠里小野町」と大阪市側の「遠里小野」があるという事は、昔は知りませんでした。
ですが、外回りの仕事で以前そのあたりも少し回ったことがありましたので知っておりまして、確かに何となくずっと昔は一つだったのかなと思ったことはありました。
それが記事を読みますと、大和川の付け替え工事(宝永元年、1704)で、摂津国住吉郡遠里小野村は(川を境に)南北に分断されたという事でした。
そして、地図を見れば誰もが阪和線の通るところ(大阪市立大学のあたり)で川が、大きく「U字」形に堺側に食い込むように蛇行しているのが不思議だと、人工の川なら尚更そう思うと思うのですが、それが上町台地のかたい岩盤に行き当たったためだろうと書かれていました。
確かにそうだろうなあと長年?の何気ない疑問が少し解消したのでした。
『和泉 幻視行』の福島記者の記事かは忘れましたが、天王寺(茶臼山だったか?)あたりもずっと昔に川の掘削工事が行われた時の記事が書かれてありましたが、それも結局断念したという事だったと思いますが、やはり上町台地の岩盤は相当堅いという事なのでしょう。
ずっと遙か前にも産経新聞だったと思いますが、JR天王寺駅の工事も、台地を掘削するのが大変な難工事だったと書かれた記事を読みましたが、それだけ不動の地盤でしたので、豊臣秀吉公も大坂城をその台地上に築城したのでしょうし、まして現代の大阪府など官公庁の建物はそこに集積しております。
それは、お役所(官)と民間との力関係を大きく象徴しているという事にもなるのでしょう。
今は民営化されていますが、JRも当時官(国鉄)だったので阪和線はまさにその上町台地の中心ライン(これは本当に背骨にあたるでしょう!)をほぼ通る形で敷設されたので、ちょうど上町台地の南端の一番最後(大和川の蛇行部のU字のてっぺん)の上を通ることが出来たのでしょう。確かに人命を守るというのが鉄道の使命でもある訳ですから、それは或る意味、国民・市民のためになされたと思うべきかもしれません。

堺市民からしますと、確かに大和川を境に大阪市になる訳ですが、記者も遠里小野橋を渡ると同じ“遠里小野”でも「堺側とは街の風情がまったく異なっていた。」と、その記事で書かれていましたが、川は見えない大きな“壁”になるのだろうと思います。
移動にしても川を渡れる橋と言うのは限られます。
電車ですと、もう意識することなく当たり前に川を渡ってしまいますが、歩きや自転車ですと、大きな河口に近い橋になりますと、横風がビュンビュン吹きますし、両岸の堤防の上を渡る訳ですから自然でない山を登り下りするぐらいの感覚であろうかと思います。
ですから、知らず知らず見えない“壁”が築かれてしまうのだと思います。

最後に、おそらく記事を読まれた方でも分からない(掲載されて3ヶ月以上経っております。。。)と思いますが、その時に紹介された写真がありました。
自身のGoogleフォトの位置の特定ではありませんが、大体このあたりで撮影されたのだなあと分ったのでした。
ちょうど背後には南海高野線の鉄道橋があるあたりです。
そのあたりから海側を眺めた写真でした。
という事は、動いていますが、高野線の電車で難波方面から大和川を渡り始めたその直後の窓越しの景色によく似ていると思います。
長年電車に乗っていますと、あの高野線で大和川を渡っている間は目をつぶっていてもスグ分かります。
子どもの時は、あの大和川を渡っている車窓からの景色が楽しみでしたが、鉄道橋を渡っている間はこれは何処の電車も同じでしょうが、独特の軽い音と言いましょうか、地面の上を走っている訳ではありませんから、少し空中に浮いている?感覚の音になります。
ですから、難波から天下茶屋を越えまして、高野線の我孫子前駅を越えたあたりから少しカーブする(その時も独特の音がします)のですが、そこから電車は堤防の高さまで登らなければいけないので馬力を上げると言いますか、なんかスピードを上げているような感じになります。
そして、橋に入りますと、登り切った安堵感と言うのでしょうか、先ほどの独特の軽い音になるのであります。
その軽い音になった直後ぐらいの海側の車窓に近い景色が、おそらく記事で紹介された写真でした。
自身も書いているうちに気付きましたので、実際にまだ確かめていないのですが、自身も以前そのあたりで写真を撮影しましたので分かった次第です。(笑)

その自身が撮影した写真を紹介しておわらせていただきます。


SN3R0004.JPG
Googleフォト「2014-01-21-大和川沿いにて-4」へ


SN3R0005.JPG
Googleフォト「2014-01-21-大和川沿いにて-5」へ


SN3R0009.JPG
Googleフォト「2014-01-21-大和川沿いにて-8」へ


SN3R0011.JPG


SN3R0013.JPG
Googleフォト「2014-01-21-大和川沿いにて-11」へ



ありがとうございました。


『橋駈ける その瞬間に 空中を 少し飛ぶよな カタコトコトと



合掌・礼拝
感謝・感動・感激なり!
 黒木 康之

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