卵から ひよこ生まれる ヒョッコリと 鳥になるよう 育み祈らむ

喪に服しているつもりではありますが、春(四月)になりまして新しい命の誕生と言うのでしょうか、新芽が萌え出でるようにちょっと書かせて戴こうという気持ちが湧き起こった次第であります。。。
全く文脈は纏まっていないところですが、今日も(スミマセン・・・)思い付くまま書かせて(タイプさせて)戴きます。

正直、自身の中ではあまり掘り起こしたくはない記事ではあるのですが、ちょっと訂正させていただきたく書かせていただきます。
その前に、仏光殿(喜連瓜破)でのあの『川の流れのように・・・』のメロディーは心にジ~ンと来たと前回書きましたが、伯母さんの遺影の写真もよかったのでした。桜の景色をバックにカラーで色鮮やかに伯母さんも微笑まれているものでした。
父の時はどうだったかよく憶えておりませんが、恐らく今も仏壇の上にある写真がそれだったと思うので、それは白黒の写真であります。料金コースによって当時も色んな演出(オプション)が出来たかもしれませんが、時代の流れでお葬式のやり方もかなり変わったところもあるとは思います。
そして、伯母さんの場合、かなり良い(高い?)コースでされたのだろうとも思います。
義理の伯父さんがずっと会社を経営されて来られていた(現在は引退されていると思います)ので、会社の取引先の関係者の方々も沢山来られていまして、社葬とまではいきませんがそこは身内だけで行われるお葬式や、或いは今多い家族葬(仏光殿でもそのための建物が別にあったと思います)のような訳にも行かなかったのでしょう、会場も一番広いところだったのではないでしょうか。父の時は畳のある部屋でして正座で足が痺れ、何とか持ちこたえられたというのがあったのですが、今回は椅子で弔問に来られる方々もお参りしやすかったのではないかなと思います。
遺影の写真も桜でしたが、供花と言うのでしょうかお供えのお花も本当に沢山でして、まるで花畑の中で伯母さんが眠っているかのようでした。《後で母から聞いたところによると伯母さんの娘さん(自身からは従姉、一回り以上年上です)が、かなり頑張られたようです》
ですから、お葬式と言うと勿論しめやかに粛々と行われるものではありますが、沢山の花々に囲まれて見送らせて戴いたのでした。それも伯母さんのご人徳の賜物だとは思いますが、電報配達時代でしたか忘れましたが、現役の会社の社長さんより、その奥さんのお葬式の方が、社交儀礼とは言え盛大になるようなことを聞いた記憶があります。恐らく社会常識的なものだと思いますが、社長さんの場合はその社長が代わるので部下を始め、取引先などの関心は次の社長の方に集中するのが一般的ですが、奥さんの場合はやはりそこでの振る舞いが社長の印象に影響する場合もありますので、どうしても等閑(なおざり)には出来ないというのがあろうかと思います。自身はよく分かりませんが、実感としては弔電でもそういったケースの方がより多かったのではないかなというのが遠い忘却の彼方ではありますが、うっすらとした印象であります。(笑)
そういったこともあり、多分伯母さんのお葬式は父の時よりかはかなり規模が大きかったのだろうと、いやそれもありますが予算(持っているお金)の違いも当然ですがありますが、女性らしく本当にたくさんの花々に囲まれて旅立って行かれたのでした。。。

そう言ったこともありまして、このブログの背景も季節的にも今しか使えませんが、桜のデザインに伯母さんを追悼する意味も込めまして変更した次第です。

それと、先ほど書きましたあまり掘り起こしたくない(笑)記事の訂正なのですが、
その記事は2記事前に紹介しました「明太子はやはり辛い!」(2012年12月12日付記事)になります。

その記事では、“父の三つ年上の伯母”と書いているのですが、学校年度の学年では4学年上になります。
昭和6年生まれと昭和9年生まれですから、三つ年上でも間違いではないのですが、伯母さんは3月生まれの早生まれ(なっ、なんと伯母さんお誕生の日に息を引き取られました!)ですが、父は今年度上半期の朝ドラである『ひよっこ』が始まった日、すなわち4月生まれなのであります。ですから、日にちで言えば3年と約1週間ほどの差なのですが、学年で言いますと4学年違うことになります。子供の時は特にそうですが、やはり1学年の差というのは凄く大きいと思います。
自身の身内でも3月生まれと4月生まれが何人かいますが、生まれた年の差以上に学年では思った以上に実際は離れていたんだと最近ヒシヒシと感じるようになりましたので、伯母さんと父との年の差も実際は4学年差ということで、父にとっては大阪に出て来た時は特に、姉(伯母さん)を親のような存在として頼りにしていたと思いますし、何より有り難かっただろうと思います。伯母さんはそれこそ親戚の方は居られたかもしれませんが、頼るところもなく最初に大阪に出て来られたと思うのでそれはそれはもっと大変だったと思います。

それともう一つこれはその記事の最後に書いたのですが、

それに比べれば自分のたかだか40年という人生道半ばの紆余曲折、プランZ・Z・Zの行ったり来たりの中途半端な変遷などヒヨコみたいなものだと、恥ずかしながらも気付かされました。

と、その当時図らずも“ヒヨコ”という言葉を書いていました。(笑)

卵から孵化(「喜連瓜破」も喜び連なる瓜が破れる、すなわち孵化するとも言えます(笑))するかのようにタイミングよく父の誕生の日からヒョッコリ『ひよっこ』が始まったのでした。
最初はどういう内容か分かりませんでしたので、見るつもりはなかったのですが、初回見させていただきますと、なんと父母が結婚した昭和39年、すなわち東京オリンピックの時からドラマが始まっているのでした!(因みに今日は姉夫婦の結婚記念日らしいです。母が憶えておりました。。。又、「3%の会」を主宰されておられる黒木安馬先生(親戚ではないですが・・・)のお誕生日でもあられるようです(フェイスブックより)!!!この場をお借りまして、姉夫婦の結婚記念と、黒木安馬先生のお誕生日を心からお祝い申し上げます。おめでとうございます

そして、これも偶然の一致(自身的にはサザンクロスの輝き!驚き!感激!)ではありますが、自身は最初思い出せなかったのですが、その『ひよっこ』のお父さん役の俳優さんが、以前記事でも書きました関西(フジ)テレビで放送されたドラマ『ブラック・プレジデント』の社長役の方でした。ブログ記事(「ブラック・プレジデント」2014年6月17日付)で書かせていただきましたが、その社長さんの名前が父と同じ名前だったのです!自身はどこかで見たなあという程度だったのですが、母がスグ思い出しまして、ブラック・プレジデントの人だったと分かったのでした。俳優さんの名前は、沢村一樹氏です。(少し調べますと鹿児島県出身の方のようです!)
ドラマ自体、東京と大阪の違いはありますが、地方から都会に出稼ぎ(父は就職でしたが)に行かれ、建設現場という過酷なところで働き大変苦労されるストーリー展開になるだろうとは思いますが、何となく父と重なるところであります。
そして、その主人公(ヒロイン)であるひよっこの家族構成自体、ひよっこが一番上ですが、女、女、男と自身と同じであるのであります。ですから、自身はどちらかといいますと、ひよっこよりもその3番目の末っ子と同一視(≒感情移入)してしまいがちではあるのですが、初回からなんかジ~ンと来るものがあったのでした。
最近、朝ドラは続けては見ていませんでしたが、今回は3回程見まして、お見合いではありませんが、見入ってしまったのであります。で、毎日(月から土)の録画予約のセッティングを昨日したのでした。
見れる時間があるかと言うのは今のところ不明???ではあるのですが、最初からいきなりサザンクロスの感動がありまして、驚いた次第です!

以上で、少し書こうと思っていたことを何とかタイプ出来たかなという感じです。

かなり長くなってしまいました。。。すみません。


ありがとうございます。


1966-05-16-鳥取砂丘にて(父).jpg



『卵から ひよこ生まれる ヒョッコリと 鳥になるよう 育み祈らむ



合掌・礼拝
感謝・感動・感激なり!
 黒木 康之

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