『和泉 幻視行』を読む㊷「大浜公園」

大浜公園には、自身も何度か行った(通ったというべきか)ことはありますが、そこから旧堺燈台へ行ける道があるとは知らなかった。むしろ公園としては、園内にある“猿”の飼育舎の方が印象として残っています。
動物園でもないのにポッツリと言うべきか、猿の飼育舎があり珍しいなあと思ったことでした。
「大浜公園」の回の記事から推測しますと、明治36(1903)年の第5回内国勧業博覧会が開かれた時、水族館が建設されたその名残だったのかもしれない。しかし、その時展示された水族、すなわちアシカやオットセイなどなどではなく、陸族という言葉があるかは分かりませんが、水族でない筈の“猿”が現在飼育されているというところが不思議なところです。単なる推測ですが、アシカやオットセイなどが展示されていた舎の一部を記念として後世に残す形で決まり、さすがに水族では管理や飼育・運営費用も掛かるので陸族?の“猿”に住んでいただくことになったのやもしれません。ましてやその近くにあった筈の海岸線はその後みるみる埋め立てられ、水族にとって必須のきれいな水の大量供給もままならなくなり、アシカやオットセイが生息する自然の海のイメージとはかけ離れて行ってしまったのだろうとも思われます。
しかし、その博覧会の時の主会場となった(大浜公園の水族館は第2会場だったとのこと)天王寺公園の方は、現在も天王寺動物園がありますし、公園自体も以前はテントなどが張られていましたが、“てんしば”という名称となり、ひと昔前のイメージが全く刷新された風情であります。自身も比較的最近、あべのから一心寺に眠る伯父さん伯母さんのお墓参りのためその公園を通り行ったのですが、久しぶりに通った天王寺公園が“てんしば”という名称になっており、びっくりした次第です。以前は駅からの地下街(あべちか)から公園の広場へ上がったあたりでは、(青空?)将棋などをされている中高年の方々が多かったと思いますが、今や“てんしば”となって、子育て世代のファミリー層が多いなあと言う感じでした。阿倍野再開発に伴い、高層マンション群が次々と建設され、それだけあの辺りには若い世代の方々が集まるようになったということでしょう。
それに較べまして(較べる必要もありませんが・・・)、大浜公園は猿さんの飼育舎がポツリとあるだけで、約100年の歳月の移ろいの対比(コントラスト)が色鮮やか?だなとは思いました。
厳密には第5回内国勧業博覧会が行われて今年は114年が経っているのですが、その当時は大浜公園界隈も“松林がしげる砂浜に面して、(~省略~)料亭がならび、” 南海電車もその料亭街へ行くための支線が延びていたということでした。
「浜寺公園」の頃の記事にも、料亭が以前賑わっていたと書かれてありましたが、いずれも臨海部の埋め立て事業により、風光明媚な堺・和泉の海岸線はわずか100年位のうちに壊滅してしまったということでしょう。。。

まさに和泉“幻視”行に相応しいところなのかもしれません。

自身は生まれた時、いや物心ついた時からと言った方がいいでしょうが、大阪湾(茅渟の浦)の海岸線は凸(デコ)凹(ボコ)の直線的で無機質な線で描かれた地図のイメージしかありませんし、それが昔から変わらずにあるという概念に囚われてしまっておりましたし、それが文明の進歩だとさえ、知らず知らず学習して来たと思います。。。ですが、本来生としては“松林がしげる砂浜”が(自然として)あるべき姿だったのかもしれません。
産業革命の進むべき道としては、通らなくてはいけない道だったのでしょうが、果たして記事でも紹介された堺に在住された二人の詩人(伊東静雄氏・安西冬衛氏)が、堺の海を見て感動し創作された詩のような情感溢れる浜辺が、どれだけ沢山の人々を魅了して来たことだろうかと思いますと、大切なものを失くしてしまったと思うしかありません。。。

ですが、阿倍野地区の賑わいもいいかもしれませんが、ひっそりとしたまるで廃墟のような、抜け殻のようになった文明の跡形(“史跡”でしょうか!)をじっとみつめることで、文明の儚さと言いましょうか、諸行無常をしかと体感出来ますので、それはそれでいいことかもしれません。商売繁盛で言いますと、やはり賑わいは不可欠だとは思いますが、永続的な、持続可能な地球全体の弥栄(いやさか)を人類は第一に考える時期(とき)に来ていると思います。

そのための道標=燈台こそ今こそ必要なのでしょう。

旧堺燈台が明治の頃、堺港を往来する船舶の道(海路)案内をしましたように、地球全体の弥栄を道(行路)案内出来る魂(いのち)の燈台が、あちらこちらで仄々と燈ってくれることを願うばかりです。


ありがとうございました。


『堺浜 松の林が 生い茂り 白波よせて 風が吹くなり』


『人集い 賑わい過ぎて 搔き消える 騒々しきは 魂(いのち)の擾乱』


『眞實は 仄かに燈る 月明かり ただひっそりと 咲く花のよに』


合掌・礼拝
感謝・感動・感激なり!
 黒木 康之

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