2016年09月05日

『和泉 幻視行』を読む㉕「鳳」

前回の「草部」偏は久しぶりに快活クラブというネットカフェ?でタイプしました。ビジネスシートと言うところで間仕切りもちゃんとされているのでそれなりに集中してタイプ出来たとは思いますが、3時間コース(約千円)ほぼ目一杯使って、やっと書けたという感じでした。
結構繁盛している?沢山利用客もおられたと思いますが、やはりその場の雰囲気や音を出さないように気を使わなければいけませんので、兎に角(記事を)書いたというのが正直なところです。キーボードも基本は同じなのですが、やはり使い勝手も違うのでその文字を押した(タイプした)つもりが違う文字だったりと慣れるのにも少々時間がかかってしまいました。。。しかも記事(新聞)も手元にはなかったので微かな記憶を頼りに印象に残っていることだけを書いたという感じでした。又サブタイトルの「草部」も本当にそうだったか忘れてしまいまして、ネットで調べても結局出て来ず多分そうだろうという少々強引な書き方をしてしまったのでした。
結果、文章量としてはさほど多くない記事で書き上げれまして、それはそれで読んで下さる方にもご負担をお掛けしない記事になったかなとは思っております。
そして、やはり「時は金なり」とは言いますが、ネットカフェですので居れば居るだけお金が加算される訳ですから、少しでも早く仕上げるために必死だったと思います。
又今後必要に応じて利用させてもらおうと思います。(笑)
ありがとうございました。

今回の「鳳」、厳密には大鳥大社の紹介でしたが、自身も以前は月参りでお参りしていましたので大変馴染みのあるところであります。
ですが、神社ですから当たり前ですが、これと言って観光になるところもなく、やはりただお参りするところですので、記事としてどういう記事になるのかなと楽しみにしながら読み進めてしまいました。
確かにヤマトタケルの白鳥伝説とも多少なりとも関わってくるところのようですので歴史としては本当に古くからあるようです。
平清盛とも縁があるようで、熊野参詣が盛んなころにはその街道沿いにある大鳥大社にも清盛親子のようにお参りする熊野詣での人たちも多かったのかもしれません。
また与謝野晶子のうぶすなの神社でもあったようで、それも紹介されていましたが、確かに比較的最近(と言いましても数年は経っていると思いますが・・・)、歌碑が建てられたようでして、自身もその碑を見まして吃驚したのを思い出しました。作家の田辺聖子さんの名前が書かれていたと思います。

そして、拝殿から本殿裏への通り抜けは通常は出来ない筈だ。
正月の三が日だけ混雑するので本殿裏へ通り抜ける順路になるのだ。
普段、最近はあまり行っていませんが月参りの時などは本当に参拝されている人はまばらではあります。
ですが、初詣でや、10月のお祭りの頃、それに七五三の頃ですと沢山の地元の方々が参拝されております。
特に正月に自身もお参りに行った時は一時間近く並んでやっとお参り出来た記憶があり、本当に人、人、人の参拝客で賑わっている印象が強く残っております。
自身の大鳥大社への初めてのお参りは、それこそ中学生の時でありまして、父の他界した翌年の大晦日に親戚の方に車で連れて行ってもらったのが最初でした。年が明けてスグ初詣させてもらった訳で、そのお蔭もありましてその年の高校受験には無事希望した公立高校に入学出来たのでした!(今でも感謝しております
その後、20代ぐらいからだったとは思いますが、ちょくちょくお参りに行くようになったのでした。

MA320190.JPG
2010-04-03-大鳥大社の桜-05


自身の中では、前回の日部神社(その手前には菱木神社がありますが)から北上しまして、JR鳳駅の踏切を越えますと今回の大鳥大社になるのですが、そのルートが堺市街や大阪市内へ行く場合のほぼ定着した順路になっていました。
恐らく途中から鳳駅前商店街あたりから熊野街道に入っていたと思いますが、北上する順路としては不思議とそれらの神社がある道を通るようになっていました。行き易かったというのに尽きると思いますし、以前もその根拠みたいなものを書かせていただきました(川沿いに海に向かって行く方が下りで楽であるというようなこと)が、それ以外にもやはり神社に至る道は、この地域(「だんじり」のある泉州エリア)は特にそうですが「だんじり(地車)」が通りますので道も綺麗であるということもあり、走りやすかったのかもしれません。実際祭りの頃になりますと、特にその神社付近の道は夜は提灯なども燈されまして、それはそれは本当に神聖な明るい雰囲気を醸し出すのであります。お祭りの時は流石に「だんじり」が主役ですので交通規制がかかり、部外者にとっては通れる道が限られますので大変と言えば大変なのですが、それでもお祭りのため、「だんじり」のためにその神社に向かう道も綺麗にされますので、通らして戴く通行人も大変気持ち良いのであります。それは恐らくお祭りの時に限らず、やはり一年通して地元の皆様がその道路を大事にされていますので、通る方も知らず知らずそういった道を通ると、そうでない道とは(通る感覚???が)違うのでそういった道を通りがちになるのだろうとも思います。
車の場合やバイクの場合は、車体そのもの若しくは、風を感じられるとは言え普通はヘルメットなどをして皮膚感覚は遮られますのでそういった微妙な風通しの良さ(道の雰囲気みたいなもの???)は体感出来ないとは思います(抜け道で早く行けるから便利と言う感覚ではありません。。。。)が、歩きや或いは自転車の場合ですと、そういう何とも言えないアナログ的な雰囲気から醸し出される“通りやすさ”と言うのは確かに体感として無意識のうちにでも分かるのではないかなとは思います。

そういったこともあり、自身も大鳥大社前の熊野街道はよく通るようになり、記者の幻視行的な感覚と少し一致するかなと思った次第です。(笑)
記者は本当に(自転車ではなく)歩きだけですのでその感覚は研ぎ澄まされているのだとつくづく思います。


ありがとうございました。


『歩き行(ゆ)く 和泉の国の 町並みを 醸し出される 古(いにしえ)の風』


合掌・礼拝
感謝・感動・感激なり!
 黒木 康之
posted by YASUYUKI123 at 13:53| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日時計日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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