2018年01月03日

『和泉 幻視行』を読む㊹「竪川」「堺事件(栄橋町)、(妙国寺)、(大和橋)」

昨年9月から11月にかけて産経新聞に掲載された『和泉 幻視行』の記事になりますが、その記事の舞台となった旧堺港やそれに流れる入る竪川が共通するところでありまして、今回、その川の流れに着目しました。そうしますと、竪川は遡りますと現在の南海本線堺駅を越えて直(ジキ)にほぼ直角に、と言いますか、180°、つまりT字型に分岐しているのであります。
勿論、そこからが堺の環濠都市の敷地内になりますので人口的に掘削されたのは言うまでもありません。
記事で「天誅組」や「堺事件」が起こった時代は、前者が1863(文久3)年8月で、後者が奇しくも今から150年前、つまり明治維新の年でもある1868(慶応4)年2月(旧暦)とのことであります。
ですから、環濠都市は江戸時代の遙か前(室町時代)からあったものですから、当時の川(濠)もそのように流れていたと思います。「竪川」の記事(平成29年9月17日付)で、記者が栄橋町から市之町を経て、櫛屋町へ向かうという当時の天誅組のコースを辿られたことが書かれていましたが、それはほぼ内川(竪川に合流する北側の川・T字型の上側)に沿って歩かれたと思われます。
当時の宿屋(「扇屋」と「朝日野」)が櫛屋町のどこにあったかは分からないところですが、現在のザビエル公園も櫛屋町西1丁であり、内川はザビエル公園のすぐ近くも流れていますので、水運という観点でも櫛屋町あたりは物資の輸送などにも利便性が大変よかったので或る意味栄えたのかもしれません。また、「大和橋=堺事件」の回(平成29年11月5日付)でも、櫛屋町にあった土佐藩の陣屋のことが書かれていましたので当時の堺の民政と軍政をまかされていた土佐藩にとっても堺の町を治めるのに都合がいい(便利?)なところだったのでしょう。
「妙国寺=堺事件」(平成29年10月15日付)では、土佐藩兵11人の切腹の様子や経緯が書かれており、その場所が妙国寺であったとのことですが、その妙国寺や遺体が埋葬された宝珠院も櫛屋町から比較的近いところに位置しております。
昭文社の『堺市』都市地図にある「堺中心図」では殿馬場中学校のすぐ西側に“堺奉行所跡”と表示されたところがありますが、恐らくそこが土佐藩の陣屋だったのでしょう。その奉行所から妙国寺へは現在の泉陽高校を挟んですぐのところですので、土佐藩幹部をはじめ、外国事務局の幹部の役人なども行きやすかった、逆に言いますと、何か事が起きましてもスグ奉行所へ戻って、指揮を執れる、つまり指揮命令系統の空白を最小限に抑えるために極力奉行所に近いところで行われたのだろうと思います。
そして、「大和橋=堺事件」の記事で大和橋で藩兵がフランス人を追い返して陣屋のあった櫛屋町まで引き返したとありますが、これはあくまでも想像ですが、当時は馬での移動だったとしても大和橋から櫛屋町まで戻るとなるとそこそこの距離になりますので、もしかしたら当時の環濠の北側であり、(濠を渡るための)北之橋という橋が架かっていたと言うことですが、そのあたりから水運(舟)でザビエル公園あたりまで戻ったのかもしれないなと思いました。
つまり現在では想像もつきませんが、水運(海上および河?上交通)の重要度が限りなく高く、すなわち藩政上の生命線であったがために、藩兵たちも海からの侵入?には相当神経を尖らせていた、ピリピリしていたのかもしれません。
今となっては、土佐藩側、フランス側どちらの言い分が正しかったかというのはそれぞれの立場の違いで食い違うところもあった《「栄橋町=堺事件」(平成29年10月8日付)より》とは思いますが、記事によればフランス側の主張がある程度客観的事実と一致するというように書かれているところもありましたが、私はあくまでも記事を読んでその当時の経緯を初めて知った訳ですので、どうのこうの言える立場では全くありません。ですが、当時の日本の交通事情などを考えますと、フランス兵が堺港に上陸したと言うことは、堺の民政と軍政を任されていた土佐藩にとっては、一番触れられたくなかったところ(神経が超過敏になっているところ)を触れられた衝撃⚡がもしかしたらあったのかなとは思います。
蜂でもやはり一番大事な巣が襲われると察知しますと死に物狂いで刺しに来ますし、熊やその他の野生動物でも子供への危険を感じますと、それを守ろうともの凄く荒々しくなります。
土佐藩兵も幕府と外国政府とのあいだで交わされた「地域協定」を周知されていたら全く違う対応をしていたと思いますが、外敵の襲来と思い違い?してしまったがための、(幕府の統制が健全に機能しておれば)もしかしたら防ぐ事が出来た惨事だったかもしれません。幕府が外国政府とのあいだで結んだ決め事をしっかり下々の現場(藩政)を司っている諸藩に知らしていたら当然それを守っていただろうと思います。ですが幕末期で、もはやそういった組織の統制もとれなくなり、崩壊寸前であったがために起こるべきして起こった惨事だったのかもしれません。
それは時代の転換期を象徴する出来事だったと、フランス側も日本(藩)側も双方多数の犠牲者が出てしまったのは非常に悲しい出来事ではありましたが、時代の流れとして幕府の崩壊の課程の一端を如実に現していたのだろうとも思います。

ありがとうございました。


合掌・礼拝
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 黒木 康之
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2018年01月01日

明けましておめでとうございます  平成30年 元旦

明けまして
おめでとうございます

本年も宜しくお願い申し上げます 平成30年 元旦


今年の年賀状のコラージュを作成しました。

11種類でしたので、あと昨年の平城宮跡での写真を足しまして、6枚ずつで作成しました。


筆王2010年住所録201712311124220-COLLAGE.jpg


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ここ数年続いております干支短歌ですが、
今年も書きました。

年賀状に添えましたのが、

『忠犬の 「ワン」の一声 どこまでも 響く青空 wonderful(素晴らしき)かな』

でした。
年賀状の印刷が出来るまで全く白紙でしたが、パッとひらめきまして書いた次第です。

最初は、“青空”ではなく“みそらの”と言う言葉だったのですが、辞書で調べますと“御空”というのではなく“身空”と言う漢字で自身のイメージする響きとはちょっと違いましたので換えた次第です。
美空ひばりさんの“美空”でしたらピタッと来たのですが、あくまでも名前(芸名)としての言葉かなと思いまして、使わなかった次第です。
ですが、今ネットで単語検索しましたら、“御空”としても、空の美称としてはあるようでその言葉でもよかったかもしれないなと思った次第です。(笑)
要は、犬の遠吠えではありませんが、忠犬の心はどこまでも天高く響き渡るでしょうし、それは本当に素晴らしいことだ!と言う単純明快な意味になります。
wonderfulと言うので、犬の「ワン」と重ねたのでありました。(笑)
そして、年賀状にはスペースの関係でその短歌だけ書かせていただきました(手書きでは今回すべての年賀状でそれだけになってしまいました・・・スミマセン)が、もうひとつほぼ同時に閃いたのでした!

それが、

『ハチ公の 忠義の心 いつまでも 永(とこし)えに鳴る wonderland(ワンダーランド)』

でした。

前者が、“どこまでも”と空間の鳴り響きですが、
後者が、“いつまでも”と時間の鳴り響きで、二つで一つの時空のクロスになろうかと思われます。

自身にとりましては、久しぶりの“サザンクロス”の感動でした。
比較的最近、近鉄電車の大和西大寺駅に行ったこともありまして、あそこは奈良線(ほぼ東西の横の線)と京都線(ほぼ南北の縦の線)が交差(クロス)する辻とも言える駅でして、まさにサザンクロスの駅かもしれません。(笑)
まして、銀行でも奈良県には南都銀行が多いようで西大寺駅前でも見かけたのを思い出します。
京都に対する南(に位置する)都と言うことでしょう。
ですからサザンの都(みやこ)銀行とも言えると思います。

本年も皆様にとりまして、「ワン」の光の綾(Aya)が鳴り鳴り響く素晴らしい一年になりますように!


ありがとうございました。


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Googleフォト「2017-12-23-平城宮跡にて-10」へ



合掌・礼拝
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 黒木 康之
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2017年12月29日

time trip(時間旅行?)

今日は久しぶりに小田和正氏のミュージックを聴かせていただいています。
何となく聞こうという気持ちにならなかったのですが、今日はちょっとiPadのプレイリストを開いた訳であります。

昨日、栄える会通信の郵便の発送を終え、年内のスケジュールは恐らくすべて終わったと思います。
あと、個人的に年賀状の作成やブログ版年賀記事作成などがあります。(それと仕事も???)

今日のブログのアクセス状況に少し後押しされ記事を書こうとなった次第ですが、正直書く内容を決めないまま打っているところです。

年内に何とか『和泉 幻視行』を読むシリーズを一つでも書けたらと願っておる所存ですが、先ずは今すべきことを順番にやって行くのみです。

先日(24日)、早朝神想観に参加させていただいたのですが、前日いつもの近鉄大和西大寺駅近くにあるビジネスホテルへ向かう途中、平城宮跡の復元された宮殿などがライトアップされていました。
間接照明で建物を照らすという感じでしたが、周りが何もなく(跡ですので!)暗くなるのも早かったので、タイミングよく見れたのでした。タイムスリップしたようなちょっと幻想的な風景でした。
自身も少し照明(シンプルネオンチューブ)の仕事をさせていただいたので、遠い昔の思い出を少し思い返すという意味でもちょっとしたtime trip(時間旅行?)をさせていただいたかなと思いました。(笑)

今は海外からも沢山の観光客が訪れたり、又日本人も世界中を旅行される方々も多くなったと思いますが、空間の旅(space trip?)はやはり主流ですが、二酸化炭素などの排出などを考えますと、なるべく自然な(例えば、自転車や歩きなどの)旅行が地球にはやさしいとは思います。
そういう意味でも、時間の要素を旅できる、ドラえもんではありませんが、タイムマシン的なものも大切かと思います。
技術(現実)的には無理でしょうが、記憶を旅できるというような映画的なものの旅行でも観光出来る要素は十分あると思った次第です。


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Googleフォト「2017-12-23-平城宮跡にて-01」へ



『千年の 時空を超えて 旅をする タイムトラベル 宮の跡かな』


ありがとうございます。


合掌・礼拝
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 黒木 康之
posted by YASUYUKI123 at 14:24| 大阪 ☁| Comment(0) | 日時計日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

生まれ変わり?の感動

ここ数日のアクセス数(今日みまして・・・)には吃驚しておりますが、もしかしたら沢口さん効果かもしれないなと思っているところであります。ありがとうございます。
アクセスのあった記事を新旧ブログともサラリと(すべては無理です・・・)復習がてら読ませていただくと30分ぐらいはスグ経ってしまいますので、今日は新規投稿をどうしようかと思っておったのですが、最初ちょっと書かせていただこうと思ったことだけ簡略に???書かせていただこうと思います。
『和泉 幻視行』を読むシリーズは少し自身の中では気持ち的に(ヨシ!書こう!というような)本腰を入れて書かないと書けませんので今日も書けないところですが、今日は産経新聞で朝ドラ『わろてんか』のプロデューサーの方がドラマの見所を紹介して下さる記事がありました。最初の頃はちょくちょく読ませていただいていましたが、最近は無いような、或いは(記事を)見逃していたかもしれませんが、久しぶりにあったなと言う感じでした。
内容を詳しく書くことは無理ですが、その中でプロデューサーの方のドラマ作りのキーワードとして“回収”という言葉が出ておりました。
自身なりに咀嚼しますと、ドラマは最近見れておりません(録画がたまっております・・・)が、「時代」の歌ではありませんが、「巡りまわって又始まるよ〜」(「時代」の中の歌詞のつもりですが正確ではないと思います・・・スミマセン)と言う意味合いかなと思っております。
もっと分かりやすいコトバですと、“リ・サイクル”と言うことでしょう。
“回収”と言う漢字を分解(二文字だけですが・・・)致しますと、“回”と“収”になります。つまりグルリと廻ってもとあったところに収まるという事ですので、ドラマ的には一度前振りのように登場していたものが、一度は消えますがその前振りの意味の回答のような感じで再登場するという事でしょう。
ヒットする、すなわち関心を引くドラマ作りのノウハウのようなものになるのかもしれませんが、やはり考え方としては全て使い捨てにするのではなく、サイクルの循環に則って再び活かす、活用するというのはいいことだなと思いました。
人でもモノでも事柄でも、循環する活かし方こそ最善であり、理想なのだと思います。

それは、リ・ニューアルとか、リ・ボーン(re・born)などにも通じると思います。

それは仏教的には業の流転と言う感じになるのかもしれませんが、やはり良いようにサイクルさせる、無限循環向上の方向へつまりプラス、善業の方向へ進んで行くことが大切だと思います。
それが間違いなく進行(神幸、すなわち神の幸え)方向だと思いますが、
本当は(神行方向以外)無いのですが、無い闇(≒マイナス)の方向へ循環流転しますと、所謂悪業が悪果をもたらし、ますます悪化する流れ(サイクル)になってしまうのでしょう。
ですから、やはりどういう種を蒔くかによって、どういう果実を回収(収穫)出来るか決まるという事でしょう。


昨日、(沢口靖子さんも高校生の時通われていたであろう)堺東へ行く用事があり、行って来ました。
その前日ぐらいに歯の詰め物が外れてしまいまして、歯医者さんに治療に行くためでした。
(受付の方にカルテを見て戴いたところ)2年ほど行ってませんでしたが、やはり以前行っていました歯医者さんへ行くことにしたのでした。

そして、30分ほど予約の時間よりも早く駅に到着しましたので、空き時間を利用して久しぶりに方違神社へお参りに行ったのでした。
『和泉 幻視行』シリーズの第一回の時だったと思いますが、その方違神社が取り上げられましたが、神社の本殿が新しくなっていたのでした。
本当に改修されて間もないぐらいの新しい神殿になっていたのでした!

これが昨日の一つ目のリ・ニューアルと言いますか、生まれ変わり?の感動でしたが、二つ目が歯医者さんでして、約2年前も綺麗に改修はされていたと思いますが、新しく戴いた診察券を見ますと、歯医者さんの医院名はそのままだったのですが、経営が恐らく変わったのでしょう堺東のほかにグループの別の歯医者さんの所在地も書かれてありました。天王寺やなんばにある(母が知っていましたが)医院に実質経営が移られたようでした。
医院の看板はそのままではありますが、これも世代交代とも言うべき(経営の)バトンタッチなのだなあと思った次第でした。
まあ、まだ一回しか行っておりませんが、生まれ変わった“歯医者さん”に(少し郷愁もありますが・・・)新鮮な感動も味わった次第です。
(自身が恐らく小学生の頃から診て戴いている)以前からの院長先生も毎日ではありませんが来られているようで、昨日もそのお姿を少し拝見いたしましたが、担当の歯医者さんは新しい方になったのでした。

と、今日の新聞の“回収”の言葉に(少し???)繋がる昨日の新鮮な感動を今日は書かせていただきました。


ありがとうございました。


『新鮮な 生まれ変わりの リ・フレッシュ いのちの滴 次へと繋ぐ💧』


合掌・礼拝
感謝・感動・感激なり!
 黒木 康之
posted by YASUYUKI123 at 15:21| 大阪 ☀| Comment(0) | 日時計日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

「まちをつなぐ 泉北ニュータウン50年」の記事を見て

今日は、産経新聞の堺泉北欄で『和泉 幻視行』が掲載されていました。
今日は「鉄砲町」でしたが、八重の桜(大河ドラマ)の頃にザビエル公園で鉄砲の記念碑があり撮影しましたが、八重さんを思い出した次第です。(因みに昨日はその八重役をされていた綾瀬はるかさんが「精霊の守り人」でも主役で出られていましたが、見れませんでした。。。)
八重さんと言いますと、君が代の“千代に八千代に〜”と重なるところがあるのですが、個人的には(畏れ多いところですが)、“千代”さんに“八重”さんに大変お世話になっておりました(す)《≒お祈りいただいていた(る)》ので、幾重ものご恩の賜物、十二単(ひとえ)ではありませんが、ご愛念のあたたかさ・ありがたさを感じているところであります。

と、今日は『和泉 幻視行』が掲載されたのでその“読む”シリーズを書く決意をしたのかと言いますとそうではありませんでして、それはまだ順番的には前のが閊(つか)えておりますので、今しばらくお待ちいただければと思います。

今日は全く想定外でしたが、その『和泉 幻視行』のスグ下に「まちをつなぐ 泉北ニュータウン50年 −ゆかりの人たちに聞く−」と言う記事も掲載されていたのでした。(どちらも堺泉北欄しか掲載されていないと思います。堺泉北地域以外の方々、また産経新聞を購読されていない方には読めないので申し訳ないところです。スミマセン。。。)

その「まちをつなぐ 泉北ニュータウン50年」の記事はつい先日夕刊で3日ほどシリーズでこれは全国版もしくは関西版かもしれませんが、産経新聞に掲載されていました。特に初回(12月14日)は一面トップで「泉北ニュータウン まちびらき50年」の見出しで記事が出ておりました。そして、その紹介写真として、泉北ニュータウンの様子を産経新聞の本社ヘリで上空から撮影したものも掲載されていましたが、よく見ますと、なんと光明池駅を中心とした光明池地区の様子でした。泉北ニュータウンの中心と言えば最初に開発された泉ヶ丘地区になる泉ヶ丘駅(南区役所は栂・美木多駅になりますが・・・)になる筈ですが、最初は茶山台のあたりだろうとじっと見ていますと、どうもピタッと来ないので、地図脳?をフルに活動させますと、豈図らんやよく見なれた光明池駅とその周辺のマンション群だったのでした。(笑)
以前も産経新聞の写真で金剛山からのヘリコプターの写真が知っているようでなかなか何処だか分からなかったのと同じような感覚でした。
いつも地表(地面)からしか見ていませんので、鳥の目線のような視点(観点)から見ますと又違うものだなあと、つくづく思った次第です。
又その日の9面(社会面)に「まちをつなぐ 泉北ニュータウン50年」のとして、掲載されていましたが、その記事の中で自身が5年生の時(昭和58年)の母校の全校児童数(1817人)とクラス数(44クラス)が一例として紹介されておりました!
つまりその数字の中には自身も含まれていた訳です!(笑)
まあ言いますと、かなり大枠ではありますが、新聞の記事に自身も登場したということであります。(決して悪いニュースとしてではありません!)
勿論その時も、泉北出身の著名人として、写真入りで今井雅子さんや沢口靖子さんや藤浪晋太郎選手も紹介されておりましたが、自身はあくまでもその泉北ニュータウンの端っこで育ったという感覚ではありますが、自身が育ったところ(今も居住しておりますが・・・)がこうして50年の節目として紹介されますと、少し自身のことのように、また自身の故郷そのものではありますので、大変嬉しく思ったのであります。
まあ夫婦で言いますと、金婚式と言うのが大変大きなお祝いの節目になりますので、なんと言うのかは存じませんが、お芽出度い節目だとは思います。

それらの夕刊の記事は3回とも読ませていただきましたが、少し忘れかけていたところで今日、“ーゆかりの人たちに聞くー”の記事として朝刊のしかも『和泉 幻視行』の記事のスグ下に掲載されましたので、自然と目に入ったのでした。

すると、今日からかは知りませんが、今日のその“ゆかりの人”が、女優・沢口靖子さんのメッセージだったのです。

この方は、自身からすると地元の著名人と言うこともあり、地元以外の人にスグ分かって戴ける“地元自慢”の方だったのです。
確かに全国津々浦々知らない人は殆どいないと思いますので、ものすごく強力な地元著名人の方なのであります。

ハッキリ言いまして、ただそれだけではあるのですが、やはり沢口さんがテレビなどで出られますと、自然と同郷の人と言う感覚で親しみを感じますし応援してしまうのであります。
沢口さんはただ一時期住まれているところが泉北ニュータウンであったということだけなのですが、これと同じような感じで3%の会の代表の黒木安馬先生も、名字が偶々同じと言うだけでまるで身内のような親近感を持ってしまうのとよく似ているところであります。(笑)

そして、そのインタビュー記事の中で沢口さんは、母校だった中学校の名前までちゃんと紹介して下さっているのであります。これも自身と同じではあるのですが、これまた大先輩ではあるのですが、自身の母校でもあった中学校の名前が記事に出ましたので、嬉しく思った次第です。(笑)
やはり沢口さんが(故郷である)その泉北のことを紹介して下さることで、泉北ニュータウンの魅力も全国に、いや全世界に発信して下さっていると思います。

今日ではありませんが、「まちをつなぐ 泉北ニュータウン50年」シリーズの中で、朝ドラの『てっぱん』を手がけられた脚本家の今井雅子さんも紹介されていましたが、自身も『てっぱん』は全ての回を見まして良かったと思っていましたが、その脚本を作られたのが今井さんでしたので、泉北ニュータウンの風土で生まれ育ったことが、あの『てっぱん』の中でも生きていると思いますと、これまた嬉しく思った次第です。

地元(お国)自慢になりますと、延々と続きますので今日はこれまでにさせていただきますが、やはり父が仕事で泉北ニュータウンの多分泉ヶ丘あたりだと思いますが、行っていたことがあり、それで父が気に入った?らしく母が泉北ニュータウンの物件を探したようですが、火事になって住む家が無くなったという災いがあったとは言え、それが転じて泉北に住めることになりましたので、それはやはり父に先見の明があったのだと、今更ながら感謝している次第であります。

これからの泉北ニュータウンの活性化と言うことでは、これは全国どこのニュータウンでも共通の課題のようですが、又若い知恵で(古くて)新しいアイディアを出しあって、ニュータウンから、リ(Re)ニュータウンへと生まれ変わって行ってほしいものです。

ありがとうございました。


『合掌の いのちのみたま 響き合う リ・ニューアル リ・ニューアル』


『繰り返す いのちの環(わっか)の つながりは 天地開闢 父母への感謝』


『ありがとう 山川草木 感謝して ただただ拝む いのちの光』



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合掌・礼拝
感謝・感動・感激なり!
 黒木 康之
posted by YASUYUKI123 at 14:30| 大阪 ☀| Comment(0) | 日時計日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする