2017年11月16日

観世音菩薩さま

今日は、iPadでブログのアクセス解析をサラッとして閉じるつもりが、(アクセスのあった)新(この)ブログの『「サザン」の繋がり』(2014年9月11日付)を読みまして、自身も何か感じるところがありました。
そして、旧ブログの方も序でに見ますと、ここ最近殆どアクセスはないのですが、『お経を上げる6』(2013年5月1日付)は何度か続けてアクセスを戴いている傾向でありまして、ついでに読んだ次第です。
そうしますと、ちょっと記事を書こうという気持ちになってしまいました。。。。
そして、慌ててブログ記事タイプ打ち専用のノートパソコンを開けまして、今文字を打っているところです。
後は時間との闘い???的な感じで閃き(よく言えば・・・)と感性で只管記事を完成させれたらと願うばかりです。(『和泉 幻視行』を読むなどのシリーズものを書くのを忘れている訳では決してありません。。。考える時間がないというのが正直なところです。)

二つの記事で結ばれたのが、観世音菩薩様かなあと思った次第です。

観世音菩薩様は沢山お祀りされておりますが、中でも清水寺の観世音菩薩様はとても有名ではないでしょうか。

思い返せば、昨年の今頃でしたかその清水寺の紅葉を観光で訪れさせていただきましたが、あまりの観光客の多さに吃驚致しましたが、観光で観世音菩薩様を祀られているお寺に行くのは正に光を“観る”ことになったのかもしれません。
その時に少しだけでしたが、その清水寺のご本尊のもう少し奥にある確か“縁結び”の神様の社(だっとたと思う)にもお参りさせていただきましたが、おそらく(その社は)有名なところでしょうが、放送業界(例えば、日本放送協会など)の名前などもあり印象に残っております。

つまり縁結びの神様の“おはたらき”と言うのは、目には見えませんが遍く“世”の中に“音”として響いているものをキャッチする(=結ぶ)ことですから、電波を発信しているところ(放送業界)がキャッチしていただくことを祈願されてのことでしょう。(笑)

「サザン」の繋がり』の記事の時にかなり一所懸命書かせていただきましたが、やはり「さざん」とは愛燦燦燦と、放ち送る行いそのものですので、それにはやはり受け手(アンテナ)があってそのおはたらきが目に見える形で顕現するのでしょう。

それはやはり心を澄ますということで、観世音の響きをキャッチ(同調)出来るのでしょうが、それはまさに耳(33)を澄ますことに他なりません。

聞耳を立てるという言葉ですと、なんとなく隠し事などを盗み聞きするようなあまりよくないイメージがありますが、そうではなくただありのままに受け止めると言いましょうか、ただ“ある”ものをそのままに有り難くキャッチするという意味合いであります。

その時に光明遍照の如来様、観世音菩薩様が説法し給ふ自然の声なき声を拝聴することが出来るのだろうと思います。

「サザン」の繋がり』の記事も久しぶりに読みまして、自身も感銘した次第です。ありがとうございました。

そして、後者『お経を上げる6』の記事は、今もアクセス戴き、ちょっと恥ずかしいところではありますが、あまり“お経を上げる”と言うことには、世間一般の大半の方々には抹香臭い、ぼうずくさい印象が多々あろうかと思いますが、“お経を上げる”と言うことは正に良い言葉(極楽浄土・天国)の波を自身が放ち送ることになります。

それは自分自身へも放たれているとは思いますが、きっと目に見えない存在(御先祖様など)にも送り届けられている筈であります。
キャッチしていただけているかどうかは分かりませんが、少なくとも良い言葉の波を自身が放ち続けることが大切だと思います。それはまさに太陽のおはたらきそのものであります。
それはまさに恩返し、報恩感謝の行ひだと思います。

そういったこともありまして、『お経を上げる6』で紹介させていただきました千巻読誦はシリーズ“7”(だっと思う)でも紹介させていただきました通り、何とか完成出来たのですが、その後少しブランクがありましたが、平成28年一月一日からまた千巻読誦を始めている次第です。千巻読誦表は生長の家の宇治別館本山の書籍販売所に置いて下さっているのを戴いて来まして(今迄のもそうですが)、また少しずつではありますが、読誦しております。

ベテランの方からしますと、カレコレ2年近く経ってしまっている訳で遅々としているなと思われると思いますが、自身なりの無理のないペース(マイペース)でゆっくりではありますが、現在も継続中であります。

先日、昨日でしたか、峠越えと言いましょうか約半分(555巻)を越えました。
今迄もそうでしたが、『お経を上げる6』で紹介させていただきました表面(500巻)が完成するまではゴールまで遙か遠いので中々(読むのを)忘れてしまう場合も多いのであります。
ですが、山登りやマラソンとかでもそうでしょうが、半分を過ぎますと、ちょっとゴールも見えて来ますので俄然熱が帯びてくる場合が多い筈です。(笑)

自身は前回などもそうでしたが、敢えてマーカーで節目節目のポイントを色付けしているのですが、100単位ではなく、ゾロ目と言いましょうか、三つの数字が揃うところに色付けしております。
つまり、111、222、333、・・・・999と言うような感じで色を付けているのであります。
そうしますと、それぞれの100回の約一割増しで10回のところを9回のサイクルでほぼ1000巻(999巻ですが・・・)に達するのであります。
逆(借金などの利息など)ではあまり良いイメージがありませんが、十一(トイチ)の理論と言いましょうか、キリスト教だったと思いますが、什一献金というのもありますが、約1割(10%)を天に捧げる意味合いであります。

と、いいように言えばそうですが、自身はやはり同じ数字が揃う方がスッキリするのでそうさせていただいております。(笑)


と、今日は思いっきり、思い付くまま書かせていただきました。

ありがとうございました。《小田和正氏の“ダイジョウブ”を聴きながら(今ですが)》



『大切な 想いを空に 解き放ち 綾(Aya)の御光 “ダイジョウブ”なり!』


2017-11-10-麺坊 万作(ノバティながの南館店)にて-1.JPG


合掌・礼拝
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 黒木 康之
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2017年11月14日

“風通し”

最近、神戸製鋼の不正問題がよく新聞記事で取り上げられています。
確かにグループの子会社にまでなかなか目が行き届かなかったとは思いますが、一つ不祥事が発覚しますと、それは親そのものの責任として世間からは厳しく糾弾されてしまいます。
自身も新聞に出た子会社の一つにある時期お世話になったことがありますが、当時は会社名が全然違っておりました。
勿論、当時からも殆ど神戸製鋼の仕事をしていたと思いますし、実質神戸製鋼の子会社だったと思います。
その後、その会社の前を通ったときに、“神鋼”と冠がついた会社に名前が変わっていたので、驚いたことでした。
恐らく、業務の内容は殆ど変わっていなかったと思いますが、やはり社名に“神鋼”と付くだけで、イコール神戸製鋼グループの会社なんだなあと、いわゆる箔が付いたような感覚で受け止めさせていただいたことでした。
自身がお世話になった製造関係の会社(すべて子会社でしたが・・・)は、現在知る限りですが、ほぼ大半が親会社そのものの会社として合併されるか、“神鋼”と言うような感じで親会社の冠が付くことでそのグループ会社であると言うことを前面に打ち出すためでしょうか、社名が変わっております。
それは会社にとっても勤めている従業員にとっても良かったことだったとは思います。
恐らく、海外の製造関係の会社もどんどん伸びて来ている中、国際競争力を上げるために企業規模を拡大すると言うのが主眼だったと思います。
それはそれで経営判断としては間違っていなかったと思いますが、恐らくその負の部分が今現れつつあると言うことかもしれません???
やはり社風というのは一朝一夕で社名を変えただけで簡単に風向きが変わるほど甘くはないと言うことでしょう。と言いますか、風自体遮られていたのかもしれません???
又、今回の不正も“神鋼”という箔が付かなければ、ここまで神戸製鋼が厳しく糾弾されることはなかったと思います。一下請け業者の不正と言うことで新聞の一面を賑わすほどのニュースにもならなかったかもしれません。
ですが、どこもほぼ100%神戸製鋼の仕事をしていたと思いますので、本を正せばやはり神戸製鋼そのものの問題だったとは言えます。

製造関係のお仕事でやはり一番難しいのが、特に子会社などの製品の部材や材料を提供するところになりますと、製品をお渡しするお客様の顔(或いは声)が中々分からない、或いは直接聞けないので知らず知らず大きな壁(隔たり)が築かれてしまっていることがあると言うことです。

そういう意味で、“風通し”というのが非常に大切になってくるのだろうと思います。

人事上の異動・交流と言うこともありましょうが、お互いの声が伝わりやすい、打てば響くの澄んだ空気(社風・雰囲気)、すなわちコミュニケーションが必要と言うことでしょう。

たとえ末端の子会社の不正であっても、新聞などで記事になるときは、親会社そのものの行ったこととして扱われてしまうのであります。

恐らく神戸製鋼にはまだそのあたりの恐ろしさを熟知しないまま、グループの規模拡大にばかり事を急ぎすぎたのかもしれません。

“一蓮托生”意識がやはりグループの規模拡大期には肝に銘じる大切な事だと思います。

そのためにも、フラッグ、すなわち経営理念のような会社として目指すべき、又あるべき姿、考えを皆が強く共有しないといけない、すなわち心の紐帯とも言うべきものが何より必要だと思います。

自身がお世話になった当時、ヒヤリハット賞として、常にちょっとしたヒヤッとしたことでも発表して皆で共有しようと言う素晴らしい社風があった会社ですら、今回の不正発覚に繋がる課程にはヒヤッとしなかったというのは不思議であり、残念だとは思います。

ですが、安全に関わる重大な不正はなかったと言うことですので、今までの膿(よくない業)が出し切られた後は、仕切り直し、リ・セットしていただいてゼロからの再出発のつもりで改めて社業を“正しく”発展されることを心よりお祈りする次第です。


ありがとうございました。


『行いは 清く正しく 美しく 磨き磨かれ 善徳となる』

『コツコツと ひとつのことを 行いて 道になるなり 行く末永く』

『風になる 命の鼓動(リズム) 刻まれて 行(ゆ)き行(ゆ)きてなむ 光明遍照


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 黒木 康之



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2017年11月07日

インパクトの綾(Aya)- 富士通のデスクトップパソコン

つい最近ですが、デスクトップパソコンを富士通のウェブマートというところで購入しました。
今、そのパソコンのキーボードで入力しております。
ATOK 2016 という日本語入力ソフトが最初からインストールされており、一文字でも入力すると予測変換の候補が文字のすぐ下に一瞬のうちに表示されます。
まだまだ不慣れなところではありますが、文字をタイプするのには助かるかもしれないなと思っております。

最近は、家用には主にノートパソコンを購入していましたのでちょっと懐かしい感じであります。

趣味でというよりは、ちょっと必要に迫られての購入でした。
ノートパソコンの画面でもできないことはないのですが、やはり最近は液晶画面の技術の進歩もめざましく、場所をとらないコンパクトなタイプでもかなりの大きい画面のが発売されております。
確かにネットカフェなどのようなところでは大きな画面のパソコンが大体置いてくれてありますが、最初はそれで何とか凌ごうと思っておったのですが、ほぼ毎日のように(使用する)需要があるぐらいの感じになってきましたので、購入したのでした。

パソコンのリサイクルに古いパソコンは出しておりましたので、今回何とか置ける場所を見つけて設置したのでした。
ノートパソコンは設置場所を考えなくても、ノート(パソコン)を開けるような感覚で多少のスペースがあれば使えましたが、やはりデスクトップパソコンは先ずどこに置くかというところから始まります。

それで、本当は何も置きたくはなかった、ある意味作業スペースのような感じで空間(面)を確保しておきたかったのですが、自身が小学生の時から使用している学習机(デスクです!)が、今回その場所に選ばれたのでした。というか(置けるのが)其処しかなかったのですが・・・。

決してブログを書くために購入した訳ではないのですが、やはり画面が大きいので書きやすいなあとは思います。

自身にとりまして、富士通のデスクトップパソコンはウィンドウズ95の前ぐらいに初めて購入しまして、その95のソフトを後からインストールしたのを何となく覚えております。
そのパソコンが自身にとっての初めてのパソコンだったと思いますが、最初はトランプのゲーム(ソリティア?)ばかりしていたと思いますが、仕事でエクセルの計算式を利用して、単価(「蔵出し」と言っていたと思います???)計算が出来るように必死の思いでやりまして、その時に大活躍してくれたのでした。

エクセルの計算式は、プログラムとは言えないとは思いますが、それでも最初に作るときに間違いますとその後ずっと間違いますので、絶対に間違わないように本当に集中して計算式などを組み合わせなければいけないのでした。
まるでパズルのような世界でしたが、それでも上手くいきましたら、パソコン画面に表示される括弧の色表示などである程度、その計算式が合っているか教えてくれるのですが、それがエラーにならずにピタッと計算されたときは感動したものです。
さすがにコンピューターはその計算を数字さえ入力しましたら、一瞬のうちに答えを出してくれるのですが、自身にとってはその土台を当時のデスクトップパソコンで何とか築き上げれたのが嬉しかったのでした。元は取れたか分かりませんが、購入してよかったなあと思ったことでした。

今回は、まだ数字(実績)としてはまだまだなところなのですが、八月に購入しました業務用自転車と並ぶ、現在の委託業務をやりこなして行く上では重要な位置付けとして、今回の富士通のデスクトップパソコンには起死回生の思いで活用したいと思っているところであります。(笑)

ブログでは書いておりませんでしたが、先行して八月でしたか、auのタブレットも購入(と言いますか、機器代は殆ど掛からなかった。通信代は月々掛かります。)しまして、七つ道具の一つと言えるぐらいのツールとして現在も活躍してくれているのですが、ウィンドウズ95ぐらいの時代では考えられなかった連動というのでしょうか、雲(クラウド)を介して繋がっております(スマートフォンでは当たり前でしょうが・・・)ので、相乗効果を期待しているところです。

先ずは、今回購入しました富士通のデスクトップパソコンの今後の大活躍をただただ祈るばかりです。。。(使う人の問題でしょうが・・・😊)

ありがとうございます。


『時代かな 雲の彼方の 無尽燈 コンパクトになり インパクトの綾(Aya)


2017-10-30-平城宮跡にて-1.JPG
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 黒木 康之
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2017年10月30日

12名突破!

今日は、栄える会の祝福祈願(奈良県教化部で休館日以外毎日行われている)の初めての当番でした。
今までは遠いということもあり、半ば(当番を)免除していただいていたのですが、本来は支部の長は順番で月に一度程度当番が回ってくるようでした。
ですが、別の行事(早朝神想観)でも当番で担当する日も出来まして,そちらの方にごそっと今まで祝福祈願の当番をされていた方々が移られたので、自身にも祝福祈願の当番が割り当てられたのでした。
今月のその日が今日でありまして、何とかその役割を果たさせていただいたのでした。
今まで祝福していただいておりましたので、やはり受けるだけでは片手落ちかもしれないとも思いますので、月に一度(の筈)ですが皆様のおしあわせをお祝いし、祈り願わせていただけたらと思います。

その後、事務局の方々とお話ししまして、言葉の波の大切さを教えていただきました。

今日のタイトルの「12名突破!」は、12月10日に奈良県で行われる生長の家講習会の受講券の自身の目標数字(割り当てられた枚数)であります。

常にその言葉を発していると、言葉の力でその通り実現する!と、ご教授いただきました。

営業の数字でもそうですが、確かに常に目に見えるようにすることで意識が出来、達成出来るように動き出しますので、確かにそれは大切なことだなあと痛感し、今回早速(自身への)意識づけのつもりでタイトルに書かせていただきました。

他意はありませんが、自身への言い聞かせのつもりで、余韻が冷めやらないうちにネットカフェ(快活CLUB24号奈良店)でタイプ、打ち込んで(=銘記して)いる次第です。

ありがとうございました。

12枚突破!12枚突破!12枚突破!


『祝福の 想いを乗せて 12枚 ただただ念じ 光とならむ


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 黒木 康之
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2017年10月25日

『和泉 幻視行』を読む㊷「大浜公園」

大浜公園には、自身も何度か行った(通ったというべきか)ことはありますが、そこから旧堺燈台へ行ける道があるとは知らなかった。むしろ公園としては、園内にある“猿”の飼育舎の方が印象として残っています。
動物園でもないのにポッツリと言うべきか、猿の飼育舎があり珍しいなあと思ったことでした。
「大浜公園」の回の記事から推測しますと、明治36(1903)年の第5回内国勧業博覧会が開かれた時、水族館が建設されたその名残だったのかもしれない。しかし、その時展示された水族、すなわちアシカやオットセイなどなどではなく、陸族という言葉があるかは分かりませんが、水族でない筈の“猿”が現在飼育されているというところが不思議なところです。単なる推測ですが、アシカやオットセイなどが展示されていた舎の一部を記念として後世に残す形で決まり、さすがに水族では管理や飼育・運営費用も掛かるので陸族?の“猿”に住んでいただくことになったのやもしれません。ましてやその近くにあった筈の海岸線はその後みるみる埋め立てられ、水族にとって必須のきれいな水の大量供給もままならなくなり、アシカやオットセイが生息する自然の海のイメージとはかけ離れて行ってしまったのだろうとも思われます。
しかし、その博覧会の時の主会場となった(大浜公園の水族館は第2会場だったとのこと)天王寺公園の方は、現在も天王寺動物園がありますし、公園自体も以前はテントなどが張られていましたが、“てんしば”という名称となり、ひと昔前のイメージが全く刷新された風情であります。自身も比較的最近、あべのから一心寺に眠る伯父さん伯母さんのお墓参りのためその公園を通り行ったのですが、久しぶりに通った天王寺公園が“てんしば”という名称になっており、びっくりした次第です。以前は駅からの地下街(あべちか)から公園の広場へ上がったあたりでは、(青空?)将棋などをされている中高年の方々が多かったと思いますが、今や“てんしば”となって、子育て世代のファミリー層が多いなあと言う感じでした。阿倍野再開発に伴い、高層マンション群が次々と建設され、それだけあの辺りには若い世代の方々が集まるようになったということでしょう。
それに較べまして(較べる必要もありませんが・・・)、大浜公園は猿さんの飼育舎がポツリとあるだけで、約100年の歳月の移ろいの対比(コントラスト)が色鮮やか?だなとは思いました。
厳密には第5回内国勧業博覧会が行われて今年は114年が経っているのですが、その当時は大浜公園界隈も“松林がしげる砂浜に面して、(〜省略〜)料亭がならび、” 南海電車もその料亭街へ行くための支線が延びていたということでした。
「浜寺公園」の頃の記事にも、料亭が以前賑わっていたと書かれてありましたが、いずれも臨海部の埋め立て事業により、風光明媚な堺・和泉の海岸線はわずか100年位のうちに壊滅してしまったということでしょう。。。

まさに和泉“幻視”行に相応しいところなのかもしれません。

自身は生まれた時、いや物心ついた時からと言った方がいいでしょうが、大阪湾(茅渟の浦)の海岸線は凸(デコ)凹(ボコ)の直線的で無機質な線で描かれた地図のイメージしかありませんし、それが昔から変わらずにあるという概念に囚われてしまっておりましたし、それが文明の進歩だとさえ、知らず知らず学習して来たと思います。。。ですが、本来生としては“松林がしげる砂浜”が(自然として)あるべき姿だったのかもしれません。
産業革命の進むべき道としては、通らなくてはいけない道だったのでしょうが、果たして記事でも紹介された堺に在住された二人の詩人(伊東静雄氏・安西冬衛氏)が、堺の海を見て感動し創作された詩のような情感溢れる浜辺が、どれだけ沢山の人々を魅了して来たことだろうかと思いますと、大切なものを失くしてしまったと思うしかありません。。。

ですが、阿倍野地区の賑わいもいいかもしれませんが、ひっそりとしたまるで廃墟のような、抜け殻のようになった文明の跡形(“史跡”でしょうか!)をじっとみつめることで、文明の儚さと言いましょうか、諸行無常をしかと体感出来ますので、それはそれでいいことかもしれません。商売繁盛で言いますと、やはり賑わいは不可欠だとは思いますが、永続的な、持続可能な地球全体の弥栄(いやさか)を人類は第一に考える時期(とき)に来ていると思います。

そのための道標=燈台こそ今こそ必要なのでしょう。

旧堺燈台が明治の頃、堺港を往来する船舶の道(海路)案内をしましたように、地球全体の弥栄を道(行路)案内出来る魂(いのち)の燈台が、あちらこちらで仄々と燈ってくれることを願うばかりです。


ありがとうございました。


『堺浜 松の林が 生い茂り 白波よせて 風が吹くなり』


『人集い 賑わい過ぎて 搔き消える 騒々しきは 魂(いのち)の擾乱』


『眞實は 仄かに燈る 月明かり ただひっそりと 咲く花のよに』


合掌・礼拝
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 黒木 康之
posted by YASUYUKI123 at 19:13| 大阪 ☀| Comment(0) | 日時計日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする